■ わたしの作陶に対する考え ■
 


考え方は、年齢や経験とともに変化していきます。
特にこの数年、不惑へむかう年齢となって、大きな変化が何度も自分の中でありました。
2010年の春、今現在のわたしの考え方です。


 -食器をつくるということ- 


■ 「毎日使うものこそ、少し奮発して良いものを使いなさい。」


まだ学生だったころに、ある方に言われたことがあります。

また、「子供のときこそ、良い器を使わせるべきです。」と、
ある母親の方がわたしの個展でおっしゃっていました。

なかなかどちらも難しいことかもしれません。

そして、良い器とはどんな器でしょうか。



■ どうして、自分は陶芸家になったのだろう、と考えてみました。


もしかしたら、わたしと性格が似ている母親のおかげかもしれません。
母は料理することに創意工夫をこらし、良い器を少しづつ集めます。

かつて、陶芸の世界に身を置くようにようになって、
あらためて実家の器を見たとき、

「ウチはちゃんとした器で食べていたんだな。」

と初めて思い知りました。


高価だということではないのです。


ただ母に、ちゃんと選ばれた器たちでした。


誰かに、母が選んだように選ばれたら、とても嬉しいと思います。




■ わたしの好きな織部をつくる方で、師と仰いでいる人がいます。


愛知県に行けば必ず顔をだして、遅くまでみんなでお酒を呑みます。

あるとき、宴の合間に、台所の奥様のところにいき二人で雑談していました。

「あなたが九州から来て、ウチのとお酒を呑んでいるから、
 何かつくってあげよう、そう思うのは愛があるからなのよ。」

料理をしながら、何気なく奥様が言いました。

「台所に立つということは、愛がないとできないのよ。」

陶芸家のご主人を何十年と支えてきた奥様の何気ない言葉を、
たぶんもう忘れることはできないと思います。


「あなたのお母様も奥様もそうなのよ。」




■ 良い器とはなんでしょうか。


機能も大切です。

デザインも大切。

手作りとはいえ、なるべく安く。


これも大切なこと。



しかし、そう思いながらもわたしは、


 技術を意識するあまり独りよがりになる。

 
料理を考えないで絵付けに熱中してしまう。


よくそんな失敗をしています。



大切なのは、台所に立つひとのことを忘れないでつくること。

自分の器が、そんなひとの「良い器」になったらいい、

そう思いながら作陶をつづけています。



■ やきものをつくる。


一度焼いてしまえば、もう二度と土にはかえらない。

陶磁器は土中でも何千年と存在しつづける。

ときどき、おそろしくなる。

どれだけ無駄にしてきたことか。

割った器の数々。

一窯すべてダメになったこともあった。


命を奪い取る食事のように

自分の中ではまだ麻痺していない。


麻痺させる量産品の恐ろしさ。

だれも土からできているとは思っていない。

ふと、自分たちもそれを忘れそうになる。









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